グレッグ・マッケンジー

ショパンからオスカー・ピーターソンまでジャンルを超えた幅広い演奏と、独特の感性、個性的なアレンジ、卓抜したショーマンシップで聴衆を魅了し続ける、国際派ジャズピアニスト、作曲家。演奏、レコーディング、音楽指導など、30年余りにわたって音楽業界で活躍し続けている。

マッケンジーの人生と成長過程おいて、あらゆるジャンルの音楽が重要な役目を果たしてきた。

1962年4月26日、ニュージャージー州トレントンに生まれ、10歳からオルガンのレッスンを受ける。その後さまざまな木管楽器、打楽器を演奏するが、いつしかピアノをこよなく愛するようになる。

1980年、高校卒業を前に管弦楽団America’s Youth in Concertへの入団を認められ、バスクラリネットを担当。ニューヨーク、カーネギーホールでの演奏ののち、4週間に及ぶヨーロッパ・コンサートツアーに参加。

1984年にシェナンドー大学音楽院卒業後、短期間ながらワシントンDCに移り住み、ビリー・テイラーに師事。この頃からジャズピアノ演奏への情熱がひじょうに強くなり、自ら結成したジャズトリオでホテル、クラブで演奏して収入を得るようになる。

1987年にはソングライターを目指して友人の作詞家とともにロサンゼルスに移り住むが、映画サウンドトラックに感銘を受け、ハリウッドの編曲家ロン・ゴロウのもとで映像音楽制作と作曲を学び始める。トレーニングの大半を作曲に費やすようになり、人気テレビシリーズ「スター・トレック」で知られる女優で歌手のニシェル・ニコルズとともにテレビ番組向け音楽を制作。音楽業界が近代的テクノロジーを駆使して様変わりするなか、マッケンジーはテネシー州ナッシュビルのレコーディングエンジニアの招きでジャズトリオMood IndigoのメンバーとしてCD制作に参加。ほどなく、ニューヨークのジャズシーンでソロピアニストとして活動することを決意する。

1994年、ニューヨーク、世界貿易センター107階のレストランWindows on the Worldで演奏するようになり、出版社FingerNail Moonを設立するとともにASCAP(米国作曲家・作家・出版社協会)、Local 802音楽家連盟に加入。1996年にはファースト・ソロアルバム『HAPPY ENDINGS』を制作。収録が行われたのはロックフェラーセンター最上階のレストランRainbow Roomに隣接するナイトクラブRainbow &Stars、マッケンジーが3年にわたり、ジョー・ウィリアムズ、ヴィック・ダモーン、カレン・エイカーズ、アンソニー・ニューリー、ローズマリー・クルーニーなど名だたるアーティストの前座を務めた場所である。

1999年、ソロピアニストとして世界5大陸を巡り、台湾ではソロピアノ・コンサートツアーを実施、台北の国家音楽庁コンサートホールで千秋楽を飾った。2001年以降は音楽コンサルティング分野においても重要な役目を担うようになり、アジア、中東で質の高いエンターテインメントやホテル・イベントを企画・演出。

2003年にはさらにチャンスが広がり、新たにオープンしたホテル東京グランドハイアットの音楽監督として来日、伝説的サックス奏者、渡辺貞夫に出会う。ふたりの音楽的なつながりは、スタジオレコーディング、ライブツアー、NHKテレビやラジオでの共演など、マッケンジーの経歴において特筆すべき活動へと発展している。

ソロ演奏はいうまでもなく、多様なアンサンブルでのマッケンジーの演奏・演出手腕も高く評価されている。

「私の演奏は私の個性のひとつ。求められる音は曲ごとに異なります。それぞれの雰囲気や気分にふさわしい音を奏でなければならない。もっと聴きたい、と皆さんに思っていただける、そんな演奏を目指しています」